展覧会のお知らせ

<展覧会のお知らせ>

Galerrie SATELLITE
2019年1月15日-28日

2012年4月28日土曜日

胡椒亭

この本の中には、小川斌さんと小川稔さんのお話も掲載されています。

「小川軒」はもともと新橋にあり、斌さんのお兄さん順さんがシェフの、吉田健一お気に入りの洋食屋でした。
その「小川軒」が代官山に移転になり、斌さんが吉田健一の交通の便を思って銀座に開業したのが「胡椒亭」だそうです。

小川斌さんは、小川稔さんのお父様です。


 「吉田健一」道の手帳 河出書房出版

 「吉田健一」道の手帳 河出書房出版

東京の昔の小川軒と胡椒亭」の中にも記述がありますが、丹生谷貴志さんと小川稔さんは大学の同級生です。
そんな関係もあって、私達も何度か胡椒亭におうかがいさせていただきました。
あんまり料理も頼まずに、ワインばっかり飲んでいるような私達も、とても、居心地良く過ごさせていただきました。
華美ではないけれど、なんとも言えない優雅な雰囲気が漂っており、それは、胡椒亭の持つ上質の歴史から放たれていたのだなあと、今にしてあらためて思います。

はがきのデザインが伊藤若沖「玄圃瑶華」というのは、小川さんらしいです。



「先生が坐られるカウンターの席は西向の表に近い処でしたので手にされたグラスの葡萄酒の色はそれは何とも美しい光で先生はやさしく目をほそめて楽しんでいる様子でした。」
「小川軒のころ」-小川斌

胡椒亭閉店の際にいただいたご挨拶状にも、「学生時代以来の美術への思いがあり」と書いていらっしゃいました小川稔さん、現在、茅ヶ崎美術館の館長さんです。

2012年4月27日金曜日

「春の野原」吉田健一


この対談の中で、金井美恵子さんは、もっとも好きな吉田健一の小説を「春の野原」だと語っておられます。
そうなると、当然読んでみたくなるのですが、この本、とても気が利いていてちゃんと収録されているんですね。
「吉田健一」河出書房出版

早速読んでみますと、これが実に不思議な小説でして、まず設定が、”英国に日本の小説を紹介する事になり、その翻訳をしたが、実はその小説が盗作だとわかり、翻訳者が英国に向かう飛行機の中で別なストーリーに書き直す”というもの。

構成も多重構造になっており、その魅力的な世界観に引き込まれます。
おもしろい小説には、早くその先に進みたいと思うものと、ずっとここに留まっていたいと思うものがありますが、この小説は典型的な後者です。

翻訳をしている最中、進捗をうかがいながら、出版社の社長がいろいろなものを付け届けしてくれる場面です。
「併しさういう譯で、つまり、低級な日本語を高級な英語に直してゐるという意味でも、高級な日本語を低級な外國人にも解るやうな言葉にしてゐるといふ意味でも、何れにしても、高級な仕事をやつてゐる人間としてこつちを尊敬してくれて、疊替へや襖の張り替へをやつてくれたのである。」
「春の野原」-吉田健一


「酒肴酒」吉田健一 光文社文庫

関連記事:「吉田健一 生誕100年」「胡椒亭

2012年4月26日木曜日

吉田健一 生誕100年


このブログは、時系列無視、分野も無視、それぞれにお詳しい方にとっては、全く「今更」な話題ばかりになるかもしれません。
で、今年は吉田健一生誕100年なんですね。

「吉田健一」道の手帳 河出書房出版

この本の中で金井美恵子さんと対談されている丹生谷貴志さんは、私の敬愛する思想家です。
ヨーロッパ文学の評論や、食やお酒のエッセイが取り上げられる事が多い吉田健一の、小説に焦点を当てた対談となっております。

「吉田健一の不思議さというか奇妙さは、近代日本の文学や批評の中心にあった『葛藤』や『不可能』あるいは『乗り越える』というテーマを一切持っていないところにあると思うんです。」

「吉田健一が小説を書く時をめぐって」 -丹生谷貴志

「ヨオロッパの世紀末」吉田健一 筑摩叢書


関連記事:「「春の野原」吉田健一」「胡椒亭

2012年4月24日火曜日

Masashi YAMAGATA Maquette

山形雅史さんの2012年のマケットです。

YAMAGATA MASASHI   -旋- Layer 2012

 
YAMAGATA MASASHI   -旋- Layer 2012

YAMAGATA MASASHI   -旋- Layer 2012

2012年4月21日土曜日

Galerie SATELLITE 2 2010

2010年のGalerie SATELLITE 2です。
2月でしたので、とても寒くて雪も降りました。

 画廊の前の通りです。


2012年4月20日金曜日

Masashi YAMAGATA EXPOSITION

山形雅史さんのフランス、パリでの展覧会のご案内です。
螺旋と視点の軌跡をテーマにした作品です。

パリ11区のGalerie SATELLITE2での開催です。
山形さんは2010年に続き、2度目の展覧会です。

今回は、私も少し展示させていただきます。

2012年4月19日木曜日

さざえ

先日、さざえをおいしくいただきました。


つい、じーっと眺めてしまうこの貝殻ですが、この蓋の螺旋と殻の螺旋が同じ形態なんですよね。
不思議ですねえ。
食べておいしい、眺めて楽しいさざえでした。

2012年4月18日水曜日

Oxford Speech by Michael Jackson_11


Together, let us create a symphony of hearts, marvelling at the miracle of our children and basking in the beauty of love.

Let us heal the world and blight its pain.

And may we all make beautiful music together.


Oxford Speech by Michael Jackson_11

マハトマガンジー18はこう言いました。
「弱さは決して許すことができない。許す事は強さに由来する。」と。
今夜、強くなりましょう。そして、その強さを持って「壊れた契約を回復する」という偉大な挑戦を成し遂げましょう。
私達は子供時代のどんな大きな打撃も乗り越えて、ジェシー・ジャクソン19の言葉にあるように、お互いが許し合い、お互いが回復し合い、前に進みましょう。

この赦しの叫びは、世界にむけたオプラ19とのインタビューの時は、多くの子供達が親との関係を築くという結果を導く事はできませんでした。
でも、少なくともそれは一つのスタートになるでしょう。
そして結果的には、私たちは皆、より幸せになれるでしょう。
皆さん、私は信念と、喜びと、興奮を持って今夜のお話しを終えたいと思います。

この日から、新しい歌を聴いて進みましょう。
その新しい歌を子供達の笑い声の歌としましょう。
その新しい歌を子供達の遊んでいる歌としましょう。
その新しい歌を子供達の歌っている歌としましょう。
そしてその新しい歌を両親が聴いている歌としましょう。

「Michael Jackson KING OF POP」

皆さん、一緒に心のシンフォニーを創りましょう。
子供達の奇跡に感嘆し、愛の美しさを心地よく浴びましょう。

世界を癒し、苦痛を取り去りましょう。

そうすれば、私達は皆一緒に美しい音楽を創る事ができるでしょう。

神のご加護が皆様にありますように。
そして、心の底から皆さんを愛しています。
どうもありがとうございました。


「Dancing the Dream 」 Michael Jackson

18) Mohandas Karamchand Gandhi, / 1869102 - 1948130日)は、インドのグジャラート出身、マハトマ・ガンディー(=マハートマー・ガーンディー:Mahatma Gandhi)として知られるインド独立の父、弁護士、宗教家、政治指導者。

19) Jesse Louis Jackson,Sr.1941108日―)は、アメリカの市民権活動家でキリスト教バプティスト派の牧師。

20)Oprah Winfrey1954129 - )は、アメリカ合衆国の俳優、テレビ番組の司会者兼プロデューサー、ケーブルテレビ局、出版社を所有する実業家、資産家である。
マイケルジャクソンは19922月にTVの人気トーク番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」にネバーランドでのライブインタビューという形で出演した。

(訳 安國麻衣 注釈は主にwikipediaなどを参考にして作成しました








このマイケル・ジャクソンによる「オックスフォードスピーチ」は、私の周りの子供を持つ友人や、子供を持たなかった人たちに読んで欲しいという事だけで訳したものでした。
それを、このような形で掲載させていただいた事に感謝します。

たくさん不備もあり、いろいろに解釈できる部分もあると思います。
お気づきの事などございましたら、どうぞご助言下さい。




訳したものを冊子にして、周りの方達に読んでいただこうと思ったのですが、やはり訳の悪さもあってか、あまり反応はありませんでした。

中には、「幼児虐待をしてる人間が、なにが『Heal the Kids』だ」という声もありました。

ただ、一人の友人から
「これ、読ませてもらって良かった!そうでないと、私の中でマイケル・ジャクソンは、ずっとただの変な人だったと思う。この人すごいね。自分の事なんか一切ないね。」
と言ってもらって、訳して良かったと思いました。

このブログにも、お一人でも、一部でも読んでいただければと思って掲載いたしました。
少しでも目に留めていただいた皆様、どうもありがとうございました。

写真はすべて私の持っている写真集や書籍を写したものです。
本文と直接関係ないものもあります。
ご紹介したサイトに掲載されている英文は、細かいところですが、書き起こされていない部分があります。音声をご参照下さい。



2012年4月17日火曜日

Oxford Speech by Michael Jackson_10


In a world filled with hate, we must still dare to hope. In a world filled with anger, we must still dare to comfort. In a world filled with despair, we must still dare to dream. And in a world filled with distrust, we must still dare to believe.


Oxford Speech by Michael Jackson_10

10年ほど前、私は「ヒールザワールド」(Heal the World)という慈善団体を設立しました。
この名前は、私の内に感じた何かでした。
後に、シュマリーに言われて知ったのですが、この2つの単語は旧約聖書の土台となっているものだそうです。


「Michael Jackson KING OF POP」

戦争や虐殺の銃弾で穴だらけになった世界を私達は癒せると、今日でさえ、私は本当に信じているのでしょうか。

サンディエゴの高校に入ってゆき、ちょうど人生の始まりにある二人の美しい生徒たちを射殺する14とういう、本日の新聞で報道されていたような子供たちを、
銃と憎しみでコロンバインに弾丸を放った15、約2年前の恐ろしい記憶呼び起こす子供達を、
また、ジェミー バルジャーの悲惨な出来事16のように無防備な小さな子供を殺してしまえるような子供達を、
私は本当に癒す事でできると思っているのでしょうか。
もちろん、私はそう思っています。
そうでなければ、今夜ここに来ていません。

「Before He Was King」  Todd Gray

しかし、すべては許す事から始まります。
世界を癒すためには、まず自分たち自身を癒さなければなりません。
そして、子供達を癒すためには、まず私達が皆、それぞれの内にある子供の部分を癒さなければなりません。

私が私自身の子供時代の辛い思い出を葬り去るまでは、一人の大人としても、完璧な人間になることはできませんし、一人の親としても、無償の愛を注げるような親になることはできません。

今夜、私は皆さんにお願いしたい。十戒の5番目の戒律17に従って行動してゆきましょうと。
彼らを裁く事はせず、敬いましょう。疑わしきは罰せず、です。
なぜ、私が父を赦したいと思い、父を裁く事を止めたのか、
私は父親を望んでいたから、父を許したいと思ったのです。
それが私が手に入れたかった唯一のものです。
私は私の肩から過去の重圧を取り去りたかった、そして、過去の悪魔に妨げられる事なく、私の残りの人生において、父と新たな関係が結べるように、自由な一歩を踏み出したかったのです。

世界は憎しみで満たされています。でも希望を持ち続けなくてはいけません。
世界は怒りで満たされています。でも安らぎを求めなければいけません。
世界は絶望に満たされています。でも夢を持ち続けなければいけません。
世界は不信で満たされています。でも信じ続けなければいけません。


「LIFE MICHAEL 1958-2009」


両親に失望している今夜ここにいらっしゃる皆さんに、どうか、その失望を捨て去るようにとお願いします。
.あなたのお父さんやお母さんにだまされていると感じている今夜ここにいらっしゃる皆さんに、どうか、あなた自身はこれ以上だまさないようにとお願いします。
あなたの両親をどこかへ押しやってしまいたいと思っている皆さんに、どうかそうではなく、あなたの手を彼らに差し伸べて下さいとお願いします。
皆さんにお願いします。そして私自身にも。両親に無償の愛を注いで下さい。その事によって、彼らは子供達から、どのように愛せばよいかということを学ぶでしょう。
愛することで、最後には、この荒涼とした寂しい世界を回復する事ができるでしょう。

シュマリーはかつて私にこう語ってくれました。
旧訳聖書では、子供達の心を通じて両親の心が回復され、その時、新しい世界と新しい時間が訪れると。
皆さん、私達が世界です。私達がその子供です。



14) 200135日サンディエゴ郊外の高校で、15歳の少年が2人の学生を射殺した事件。

15) 999420日、米コロラド州にある同校の生徒2人が銃を乱射し、生徒と教師を多数射殺。犯人の2人はその場で自殺した。

16)1993年に2歳のジェミー・バルジャーが少年達のよって殺害された事件。

17) 父母を敬う事




2012年4月16日月曜日

Oxford Speech by Michael Jackson_9

お父さんに対する感情の変化を表現した1文です。


In the place of anger, I have found absolution. And in the place of revenge I have found reconciliation. And my initial fury has slowly given way to forgiveness.


Oxford Speech by Michael Jackson_9

この事について考える時、それは、どうか子供達が私を冷たく裁かないようにと、また、到らない点を許してくれるようにと願う時、私は私自身の父の事を、思わざるを得ません。

そして、幼い時からの拒絶があるにしても、父は私を愛そうとしてくれていたのだと、そう認めざるを得ません。
彼は、私を愛してくれました。そして、そのことを私は知っています。

「MICHAEL JACKSON」

それを示す小さな出来事がありました。

私が小さい時、甘いものが大好きでした。もちろん私達は皆そうですけれど。
私の大好物はグレーズドドーナッツ(シロップのかかったドーナッツ)でした。そして、父はその事を知っていました。
何週間かに一度、私が朝1階に降りて行くと、キッチンカウンターの上にグレーズドドーナッツの袋が置いてありました。
なんのメモも説明もありません。ただドーナッツが置いてあるのです。
それは、まるでサンタクロースのようでした。
私は時々、夜遅くまで起きていて、彼がそれを置いているのを見ようかと考えました。
けれど、ちょうどサンタクロースがそうであるように、もし見てしまうと、二度とこのような事はしてくれなくなり、この素敵な魔法を台無にしてしまう、そんな事はしたくありませんでした。
私の父は夜中に密かに、それを行わなくてはいけませんでした。そして、だれも父が気を許している所を目撃してはいけませんでした。

父は人間の感情を恐れていました。彼には、それが理解出来なったし、どのように扱ってよいかわかりませんでした。
でもドーナッツの事は知っていました。

私が心の堰を開く事を許したとき、多くの思い出がよみがえってきます。
それは不完全なものだけれど、彼が出来ること示そうとした小さな動作の思い出です。
「Moonwalk」  Michael Jackson

ですから今夜は、私の父が何が出来なかったのかではなく、彼の行った事、彼自身の挑戦に焦点を当てたいと思います。

私は彼を審判することは止めたいのです。

私は父が南部のとても貧しい家庭に育ったという事実について、まず考えようと思います。
大恐慌時代に育ち、彼自身の父親も子供達を食べさせてゆくのに必死でした。
家族に愛情を示す事はほとんど無く、私の父とその兄弟達を厳しく育てました。
南部の貧しい黒人がどのように育ったか、だれが想像できるでしょうか。
彼らの尊厳は奪われ、希望は摘み取られ、最も下層な人間と見られる世界で、もがきながら大人になりました。
私はMTVで放映された最初の黒人アーティストです。
その時でさえ、そのことがどんなに大きな出来事であったか私は覚えています。
1980年の事です!
「Moonwalk 」 Michael Jackson

父はインディアナに移動し、彼自身の多くの家族のために、鉄工所で長時間働きました。
そのことは彼の肺を蝕み、精神を貶めて行きました。それはすべて家族を支えてゆくためです。
彼が感情を表す事は難しい事だと思っても、何が不思議な事があるでしょうか。
厳しい環境のなかで心を強くし、感情の城壁を築いた事は不可解な事でしょうか。
彼が経験した、尊厳を奪われた貧しい生活から、息子達を救い出すために、パフォーマーとして成功するよう厳しく押し出したとしても、どんな不思議な事があるでしょうか。

私は父の厳しさも愛情の一つだと思うようになりました。
それは不完全な愛ですが、それでも確かに愛です。
彼は私を愛するがために厳しい練習を強いました。
自分の子供たちを、見下げられるような人間にしたくなかったからです。

ですから、時間が流れた今、それらのことは苦々しい事というより、ありがたいものだと感じるようになりました。
怒りに充ちていた場所に、赦しを見いだす事ができました。
復讐心に充ちていた場所に、和解を見いだす事ができました。
そして、私の最初の憤激は徐々に赦しへと導かれました。




2012年4月13日金曜日

Oxford Speech by Michael Jackson_8


絶対に大丈夫ですよね。

 I pray that my children will give me the benefit of the doubt. That they will say to themselves: "Our daddy did the best he could, given the unique circumstances that he faced. He may not have been perfect, but he was a warm and decent man, who tried to give us all the love in the world."

「LIFE MICHAEL 1958-2009」

Oxford Speech by Michael Jackson_8

今は私自身が父親です。
ある時、私は私の子供達、プリンスとパリスの事について考えました。
彼らは大きくなった時、私の事をどのように思うのだろうと。
私がどんなに彼らといつも一緒にいたいと思っているかを、また、私がすべての事より、彼らを最優先にしているということを覚えていてもらいたくて、私の行くところにはどこでも一緒に連れてゆきました。
それは確かです。
けれど、それは彼らの生活においては、一つの挑戦です。なぜなら、私の子供達はいつもパパラッチからしつこく追い回され、私と一緒に映画や公園に行ける事はありません。

彼らが大きくなった時、私に対して憤るでしょうか。私の選択は彼らの若い時代にどのような影響を及ぼすでしょうか。
彼らはきっとこう問うでしょう。どうして自分たちには、他の子供達のような標準的な子供時代が与えられなかったのかと。
私はこう祈ります。
その時、どうか私の疑わしい部分について、彼らが許しを与えてくれるようにと。
彼ら自身が、「直面している特殊な環境の中で、私達のお父さんは出来る限りのことをしてくれた。」「彼は完璧ではないかもしれない、でも、世界中の愛を私達に注いでくれようとした暖かいまあまあ素敵な人だった。」と言ってくれるようにと。
彼らがあきらめなくてはいけなかったことや、私が犯してしまった失敗や、これから彼らを育ててゆく中で犯してしまうだろう失敗を責めるのではなく、私が子供たちのためならどんな犠牲も惜しまなかったというような、前向きな良いことに目を向けてくれればと願います。
「LIFE MICHAEL 1958-2009」


私達はみんなだれかの子供です。そして、どんなに最善の計画を立てても、どんなに努力をしても、過ちを犯してしまうものです。
それが人間というものです。



2012年4月12日木曜日

Oxford Speech by Michael Jackson_7

小さな出来事が大きな意味を持つことがあるというエピソードです。

But I remember once when I was about four years old, there was a little carnival and he picked me up and put me on a pony. It was a tiny gesture, probably something he forgot five minutes later. But because of that moment I have this special place in my heart for him. Because that's how kids are, the little things mean so much to them and for me, that one moment meant everything. I only experienced it that one time, but it made me feel really good, about him and the world.

Oxford Speech by Michael Jackson_7

皆さんはおそらく、私がのどかで素敵な子供時代を過ごしていないと聴いても、そんなに驚かれないでしょう。
「Moonwalk」  Michael Jackson

私と父の関係に存在する重圧と緊張は、ちょうど良い例になると思います。
私の父はとても強い人で、私の兄弟達と私を、まだとても小さいうちから、良いパフォーマーとなるよう厳しく強要してきました。
彼が、私に愛情を示すという事は決してありませんでした。
彼は、決して私に話しかけませんし、愛することはありませんでした。
そしてまた、私を褒めるという事も決してありませんでした。

私が本当にすごいグレートなショーをした時、彼は「良いショーだった」と言います。
私が良いショー、OKなショーをしたぐらいでは、何も言いません。
彼は、何より商業的な成功を収める事に一生懸命でした。そして、そのことについては、大変な達人でした。
彼は、マネージメントの天才で、彼に強く押し出されたおかげで、私の兄弟と私は、決して小さくないプロとしての成功を収める事ができました。
決してステップを間違えることが出来ない教えによって、私はショーマンとして訓練されました。

でも、私が本当に求めていたのはお父さんだったのです。
私は、愛を示してくれる父親を求めていました。
私の父は決してそのような事はありませんでした。


彼は決して、私の目をまっすぐに見つめて愛しているとは言ってくれませんでした。
彼は決して、私とゲームで遊んでくれませんでした。
彼は決して、私を肩車してくれませんでした。
彼は決して、私と枕投げをしたり、水風船で遊んでくれる事はありませんでした。

「LIFE MICHAEL 1958-2009」

けれど、一つ覚えていることがあります。私が4歳の時のことです。
小さなカーニバルがあり、彼はそこへ私を連れて行き、私を抱き上げてポニーに乗せてくれました。
それは、とても小さな出来事で、おそらく父は5分後には忘れてしまっているような事です。
けれどもその瞬間の事は、私の心の中では、彼に対して特別な位置を占めています。
子供達にとって、もちろんその時の私にとっても、小さな出来事がどれほど大きな意味を持つかということです。
一瞬の出来事がすべての意味へと通じます。
私にとってこのような事は、たった一度きりの体験です。けれど、そのことは父とこの世界をとても心地のよいものにしました。


2012年4月11日水曜日

Oxford Speech by Michael Jackson_6

子供を育てる事をダンスに例えた、きれいなフレーズですね。

They say that parenting is like dancing. You take one step, your child takes another. I have discovered that getting parents to re-dedicate themselves to their children is only half the story. The other half is preparing the children to re-accept their parents.

Oxford Speech by Michael Jackson_6

これが私の初めての公の講演にも関わらず、皆さんは大変暖かく私を心の中に迎え入れて下さいました。
私はもっと皆さんにお話したいと感じています。私達はそれぞれの物語を持っています。
そして、その意味において統計的数字は、個人的なものとなります。

子供を育てるという事はダンスのようだといわれます。あなたが一つのステップを覚えれば、子供はまた違ったステップを踏みます。
両親だけが、子供達に対し捧げる事を取り戻しても、それは物語の半分に過ぎません。
あとの半分は、子供達が両親を再び受け入れる用意をすることが必要です


「LIFE MICHAEL 1958-2009」

私がとても小さい時、「ブラックガール」という名前の、少しおかしいオオカミとレトリバーの混血の野良犬を飼っていたことを覚えています。
彼女は番犬になれないどころか、何かを恐れ、とても神経質でした。いつも不思議なくらいトラックの音や、インディアナを通り過ぎる雷雨の轟きに怯えていました。

妹のジャネットと私は、この犬をとても愛しました。けれど、私達は、前の飼い主によって奪われてしまった彼女の信頼を取り戻す事は、決してできませんでした。

私達は彼女がいつもぶたれていたことを知っていました。
それが何のためだったのかはわかりません。
けれど、何のためにしろ、そのことは、彼女から正常な精神を取り去ってしまうには充分な事でした。

今日の多くの子供達は、幼い頃から愛を求めない事に慣らされてしまった傷ついた子犬のようです。
彼らは自分たちの両親の事を気にかける事はしません。彼らのやり方で、独立する事を良いこととします。
彼らは、両親を置き去りにしてどんどん前に進みます。
そして、もっとひどいケースは、彼らの両親に対し、悪意やルサンチマンを隠し持ち、彼らの両親が何を言っても、顔めがけて思い切り投げ返されるでしょう。


「LIFE MICHAEL 1958-2009」

今夜、私はこのような過ちを犯さないようにと望みます。
ですから、今夜、ここからが始まりです。
私は世界中すべての子供達に、もし、両親の無関心を感じても、それを許すように呼びかけます。
彼らを許し、そしてもう一度、両親にどのように愛すのかということを教えて下さい。


ウチョウラン_2

先日ご紹介したウチョウランですが、こんなに芽が伸びてきました。
実は、先日ご紹介したあと、鉢が汚れていたので、持ち上げて拭いていたところ、鉢が滑落し、やっと芽の出かかった球根も、土も散乱してしまうという大惨事(正しくは大失態)があったのですが・・。
あわてて、球根を救済し、絨毯や、ごみ箱に散乱した土は諦めて、同じような土を買ってきて植え付け直しました。
数日、はらはら見守っていましたところ、無事芽が育ってきて一安心です。

2012年4月10日火曜日

Oxford Speech by Michael Jackson_5


「ヒールザキッド」の目指すところですね。


Our goal is simple - to recreate the parent/child bond, renew its promise and light the way forward for all the beautiful children who are destined one day to walk this earth.


Oxford Speech by Michael Jackson_5

皆さんに実態をお示ししたいと思います。
これは、アメリカにおける典型的な1日のことです。
20歳以下の若者6人が自殺をします。
20歳以下の若者12人が銃によって亡くなります。
これは、1年ではなく1日にです。
399人の子供がドラッグの不正使用で逮捕されます。
1352人の赤ちゃんが10代のお母さんから生まれます。
これは、世界の中でも最も進歩して、最も豊かであるといわれる国の1つで起こっていることです。
そうです、私達の国では工業化にともなって、暴力が蔓延してきています。
これらは、アメリカにおける若者達の痛みと怒りの表現の方法です。

けれども、一方でイギリスにおいても同じような苦痛や怒りがないとは考えないで下さい。
イギリスにおいては、1時間に3人の10代の若者が、自分の身体を切りつけたり、焼いたり、また、多量の薬物を服用したりして、自分自身を痛めつけているということが、示されています。
これは、彼らがいかに精神の苦悩と、無関心による痛みと共にあるかということです。
イギリスでは、20%以上の家族が1年に1度しか一緒に夕飯を取りません。
1年に1度です!

昔からの伝統である、子供達にベットで物語りを読み聞かせてあげるということについては、どうでしょう。
1980年からの調査では、ベッドで本を読んでもらっている子供達は、学校において、他の子供達より国語力に長け、すべての行動があきらかに勝っている事が示されています。
それにも関わらず、2歳から8歳の33%にも満たない子供達しか、日常的にベッドで本を読んでもらっていません。
彼らの両親が同じ歳の頃には、75%がベッドで本を読んでもらっていたということを思うと、これについては、もっと真剣に考えるべきだと思われるでしょう。
「Before He Was King」  Todd Gray

この苦悩や怒りや暴力がどこから来ているのか、自分達自身に問いかけるまでもありません。
それは子供達が、無視に対して大声で叫び、無関心に震え上がり、気づいて欲しくて泣き叫んでいるという事に他なりません。

アメリカにおける子供達の保護団体は、毎年100万人の子供が無関心に由来する虐待の犠牲になっている事を報告しています。
そう、無関心、それはすべての電化製品が配置されているような、豊かな、地位ある家庭においてもそうです。
家庭、例え両親がそこに帰ってきても、彼らは本当には家庭にいません。彼らの頭は、まだ仕事場にあるからです。
彼らの子供達はどうでしょう。
彼らは、とりあえず自分たちの気持ちを動かしたもので、なんとかします。
けれど、終わりのないテレビや、コンピューターゲームや、ビデオからは、多くのものは得られません。

このような、心が痛み、気持ちが揺さぶられるような、厳しく、冷たい数字を見ますと、なぜ私が多くの時間と資金を、「ヒールザキッズ」の大いなる成功のために費やすのか、おわかりいただけるでしょう。
「LIFE MICHAEL 1958-2009」


私達のゴールは単純です。
両親と子供の結びつきを再び築くこと、その約束をあらたに結ぶこと、またいつの日か、この地球上を歩いていくことを運命づけられている美しき子供達の道を照らしていく事です。


2012年4月9日月曜日

Oxford Speech by Michael Jackson_4


とても好きな一文です。

If you enter this world knowing you are loved and you leave this world knowing the same, then everything that happens in between can be dealt with.


「Dancing the Dream」  Michael Jackson

Oxford Speech by Michael Jackson_4

12年程前、私がちょうどバッドツアーを始めた頃、小さな少年が両親と一緒に私のカリフォルニアの家を訪ねてきました。
彼は癌に冒されていました。
そして、どんなに私の音楽と、私が好きかという事を話しました。
彼の両親は私に、彼がもうそんなに長くは生きられないと言いました。
私は彼に言いました。
「ねえ、3ヶ月後にツアーが始まるから、カンザスの君の街に行くよ」
「君に是非そのショーに来てもらいたい。僕がビデオの中で着たこのジャケットを、君にあげるよ。」
彼は目を輝かせてこう言いました。
「これを僕にくれるの!」
「そうだよ。でも約束して。必ずこれを着てショーに来てね。」
私はなんとか彼に元気になってもらいたかったのです。
私は言いました。
「君がショーに来てくれた時、このジャケットを着て、この手袋をはめた君が見たいよ。」
そして、私はラインストーンのついた手袋を彼にあげました。
私は通常、ラインストーンの手袋は決して手放さないのです。

そして、彼は天国に旅立ちました。
おそらく彼は天国にとても近いところにいたのです。
私が彼の街に行った時、彼は既に亡くなっていました。
彼は私のジャケットと手袋を身につけて埋葬されました。

彼はたったの10歳でした。

彼が、生きようと、とてもがんばった事を、神様も私も知っています。
彼がなくなる時、彼は愛されていることを感じていたでしょう。
彼の両親はもちろんですが、ほとんど他人といえる私からも。
私は彼を愛していました。

この愛によって、彼はこの世界にたった一人で生まれて来たのではないということ、また、たった一人で死んで行ったのではないという事を知ったはずです。

あなたが、もし愛されていると知ってこの世界にやってきて、愛されていると知ってこの世界から旅立って行ければ、その間に起こるすべての事に立ち向かっていく事ができるでしょう。
「Moonwalk」  Michael Jackson


教授があなたを貶めたとしても、貶められたと感じる事はないでしょう。
上司があなたを打ち負かしても、打ち負かされる事はないでしょう。
多くの剣士があなたを制圧しても、勝利を得るでしょう。
これらのものが、どのようにしてあなた貶める事ができるでしょうか。
なぜなら、あなたは愛される価値があるという事を知っているからです。
それ以外の事は表面的な包み紙に過ぎません。
でも、もし愛されているという記憶がなければ、この世界で、なにか満足させるものを、探し続けなければなりません。
例えどんなにお金持ちになっても、どんなに有名になっても、まだ、空虚を感じるでしょう。
本当に探し続けるものは、無条件の愛です。限りのない許しです。
それは、あなたが生まれてくる時に無くしたものです。

2012年4月7日土曜日

Oxford Speech by Michael Jackson_3

「Love」を「愛」とか「愛する」と訳すと、なんかしっくりこないですね。
そんな「Love」に関するフレーズを2つ・・

Love, ladies and gentlemen, is the human family's most precious legacy, its richest bequest, its golden inheritance. And it is a treasure that is handed down from one generation to another.


Friends, the foundation of all human knowledge, the beginning of human consciousness, must be that each and every one of us is an object of love. Before you know if you have red hair or brown, before you know if you are black or white, before you know of what religion you are a part, you have to know that you are loved.



「Dancing the Dream 」 Michael Jackson



Oxford Speech by Michael Jackson_3

精神分析医は、子供達にとって、彼らの精神や性格の発育に必要な「無条件の愛」が欠けるということが、どれほど壊滅的な影響を与えるかということを、その著書のなかで詳しく述べています。
すべての無関心により、多くの子供達は、本質的に自分たち自身によって成長していくしかありません。

かつては、世代を超えて堅く結ばれていたはずの、両親や、祖父母や、家族との距離はますます遠くなっています。
このような暴挙は新しい世代を生んでいます。私達はそれをO世代と呼んでいます。そして今、O世代はX世代から点火されています。

O世代は表面的には、なんでも手に入れています。富も、成功も、おしゃれな洋服も、かっこいい車も。けれど、内面には空虚の痛みだけが残ります。
このような胸の隙間、大切な核の不毛、中心部にできた空洞、それらは本来、胸が高鳴り、愛に満たされた場所であったはずです。

それは、苦しむ子供達にだけ起こっていることではありません。同じように両親にも起こっていることなのです。
私達は、自分の中の子供のような性質を取り去る事によって、子供達の身体の中にある小さな大人をますます育ててしまっています。
大人の生活においても、子供のような部分を持ち続ける事はとても価値のある事です。


「Before He Was King Todd Gray

皆さん、愛は人間の家族の最も大切な遺産です。それは、最も豊かな継承物であり、黄金の形見です。
そしてそれは、一つの世代から次の世代に手渡す宝物です。

昔の人たちには、今私達が享受しているような豊かさはありませんでした。
彼らの家々には電気がなく、彼らのたくさんの子供達は暖房のない小さな家に押し込まれていました。
けれど、それらの家は暗くもなければ、寒くもありませんでした。
彼らは愛の光で明るく輝き、人の心の熱で心地よく暖められていたからです。
両親は欲や地位に目がくらむ事なく、生活の中で子供達の事を最優先にしました。


「Moonwalk 」 Michael Jackson

皆さんご存じのように、私達2つの国はトーマス・ジェファーソン*12の独立宣言によって、それぞれ分かたれました。
私達アメリカ人とイギリス人が、彼の宣言の正義について議論している間、子供達の不可分の権利について議論される事は決してなく、その権利は徐々に衰退し、世界中の子供達は子供時代の安全と楽しみを奪われて行きました。

ですから、私は今夜、すべての家庭に「子供の権利の書」をインストールしていただきたく提案します。それはこのようなものです。

1. 愛される権利、それを得ようとせずに。

2. 守られる権利、守られようとしなくても。

3. 価値あるものだと感じてもらえる権利、もし、なにも持たずにこの世界に来たとして  も。

4. 聴いてもらえる権利、例えそれが興味のない話であっても。

5. ベッドで物語を読んでもらう権利、夕方のニュースや、イーストエンダーズ*13を見て
いる方が良いのにと思わずに。

6. 教育を受ける権利、学校で銃弾を避ける必要もなく。

7. かわいらしいと思われる権利、もし仮にお母さんにしか愛されないような顔だったとし ても。

皆さん、知識の基礎、人の意識の始まりは、私達一人一人の愛の産物です。

赤い髪をしているか、茶色い髪をしているかということよりも、黒人か白人かということよりも、どんな宗教に属しているかという事よりも、愛されているかどうかという事を知るべきです。



12) (Thomas Jefferson), 174342日(ユリウス暦)/413日(グレゴリオ暦) - 182674日)は、第3代アメリカ合衆国大統領。首都ワシントンD.C.で就任演説をおこなった最初の大統領である。


13) イーストエンダーズ(EastEnders)は、BBC1985219日に放送を開始した連続テレビドラマである。 “イーストエンド”とも呼ばれるロンドン東部の架空の町、ウォルフォード(Walford)を舞台とした作品


(訳 安國麻衣)